自分の大切なものに銃口を向ける人

3Dプリンターを使って銃を製造していた人が逮捕された。最初はマニアによる行き過ぎた遊びの類なのかと思ったら、どうやらそうではないらしい。当人のツイッターアカウントには『銃を所持する自由』を主張する言葉が、それこそ機関銃のように並んでいた。

こうした出来事で驚くのは、自分の大切にしている主義・主張が規制されるきっかけになるような行為に、なぜ及んでしまうのかと言う事。3Dプリンターで銃を製造すれば、今よりさらに規制は強まり、それを実現出来るツールである3Dプリンターの一般商品化にもブレーキがかかりかねない。銃を所有する権利を実現したいのならば、今回のような行為はマイナス影響しかないはずだ。

こうした事象は他にも良く見かける。言論の自由を大切にしなければいけないはずの『知識人』が、過激すぎる言論を場所をわきまえずに発してしまったり、宗教の自由を大切にしなければいけない人が、多くの人から『規制すべきだ』と言われかねない行為をしていたり。マネーゲームで大儲けしたい人が、越えてはいけない一線を越えて規制強化のきっかけを作ってしまったり。どれも皆、自分の一番大切なものを自ら破壊しかねない(もしくはそのきっかけになりかねない)行為だ。

僕は心理学者ではないから、彼らがなぜそのような行為に走るのか、その理由は分からない。でも、自由と言うものにこれだけ無頓着で、それを知っていて何かを規制するために政治的な動きをする検察がいるこの国で、彼らの行為は『一部の過激な人』では済まないんだと思うんだよな。

 

 

黒い無限ループ

ブラック企業』の代名詞となったワタミが、上場後初の49億円の赤字となって話題になっている。すき家を経営するゼンショーは店舗運営を一人で行う通称『ワンオペ』が従業員の不評を買い、多くの店舗が一時閉鎖されたままだ。これらのニュースはネット上では好意的に受け止められているが、これに良く似た類のニュースでスルーされているものが同時期に二つあった。一つは自動車のメカニックが不足していて業界と国が協調して人員確保に当たるというニュース、もう一つは東京五輪を控えているにもかかわらず、建設業界が深刻な人員不足に陥っているという話題だ。

これらのニュースはワタミゼンショーとは線引きされて話題になっているが、根底にあるものは良く似ている。値下げが行われても、トータルで収益が上がっている内はなんとかなった。しかしリーマンショックを境にそのレベルすら維持できない会社が増え、その多くは倒産した。職人も今が辞め時とばかりに職を離れた。通常ならそこで『神の見えざる手』が働いて価格を上げる事が出来るのだが、資金繰りに困る一部の会社や職人が低価格取引の受け手となっている関係でそうもならない。その結果、生き残った「優秀な」会社もまた、以前と同様に苦しい経営状況を強いられ、優秀な人材が集まらずに業界が地盤沈下するという無限ループ。業種や顧客ターゲット、経営形態(BtoBかBtoCか)の違いはあるものの、低価格低利益の仕事を現場マネージメントに取り込むことが出来ずに破綻する構図は同じだ。

建設業界で言えば、アベノミクス効果からか緩やかな景気回復が感じられ、土地や金利も安く、でも先行きに不透明感が残るというこの複雑な時代に、企業の投資や個人の住宅購入というのマクロの額は(消費税増税の駆け込み需要を差し引いても)増えつつある状況にあった。しかしミクロな局面では予算に余裕が無い現場が多く、今後もfeeが増えるような期待感は薄い。簡単に言えば、赤字ではないものの忙殺されそうな毎日に見合う経営状況ではない、ということだ。

でも想像してみると、果たしてこのような状況にない業界があるのだろうか?福祉やIT、物流、流通、どれも同じようなものではないだろうか。ワタミゼンショーには『ブラック』『ワンオペ』というキーワードが存在し、それらが世間に広く知らしめる役割を担っただけで、何も特別な存在ではないのではないだろうか。だからこそ、世の中の人々はそれらに自分の所属する会社を投影してバッシングしているのではないだろうか。

こうした社会に自分が何が出来るのかと言えば、おそらく何もない。ただ一つ、経営者として自分が理解していなくてはいけないことは、こうした組織・業界が今、断末魔の叫びをあげているということだ。それは決して会社と従業員がwin-winの関係を築くとか、モラルハザードが云々とか、コンプライアンスがどうとかという問題ではなく、もっとシンプルな人としての問題なのだと思う。そして、僕ら小規模事業者にとって生命線とも言える『人』を確保・維持するためには、こここそが最も重要視しないといけない点なのだと思う。

 

オボカタさんとツバサくん

STAP細胞が世の中を騒がしている時、僕は思った。『この人たち、何でこんなに怒れるのだろう?』と。自分と利害関係もない、ましてやその内容や背景を理解することすら難しいこの問題にあれだけ真剣に自分の意見を主張できることが不思議でならなかった。最初の報道がセンセーショナルだったために、多くの人があの出来事の『当事者』になったこともあるだろう。喜び、称賛した自分を裏切ったという思いもあるのかもしれない。それにしてもと僕は思う。『本当は怒ってなんかないでしょ?』

で、ツバサ君である。僕は怒っている。もちろん当人に伝えることはできないし、この気持ちを具体的な行動にするつもりもない。でも、とても不愉快で憤りを感じた。彼の文章はクレーム処理をしたものなら分かる作り方になっている。全面的に非を認めつつ、具体的な例については自分に非の無い内容にする。これによって相手は、『本来ならそこまで謝罪ることではないのに謝罪する彼は誠意のある人だ』という印象を持つ。例えば仕事上、自分のミスでクライアントに迷惑を掛ける事態が発生したとする。原因はAであるにもかかわらず相手には自分とはあまり関係のないBが原因と話し、尚且つBを見抜けなかった自分の責任であると話すのだ。今回の場合、前者は最初の謝罪文で、後者は税金だ。でも、それは単なる言い逃れに過ぎない。

経営者であれば予定納税がどの程度かを税理士・会計士に相談し予算組みをする。あれだけの売上規模であれば当たり前のこと。それを考えずに、単なる贅沢や浪費をビジネスに必要なセルフプロデュース料として自分に都合よくお金を使い、『資金ショートしました』なんて言い訳にもならない。もし金持ちを演じる事がビジネス上必要なのであれば、車だってベントレー一台でも十分だ。日々の贅沢な生活の演出も、俳優やタレントがそうであるように、そのような印象を与えるだけで良かったはずだ。結局、彼は贅沢に魅了されただけ。まるで高額年棒を使い果たして引退後に苦労する野球選手と同じ。とてもじゃないが経営者とは言えない。しかもあれだけの浪費生活をネットにアップしておきながら、国税が12分割に応じてくれるという期待を持つ不思議。地方税務署の税務調査ですら、対象となる会社のブログや社長のフェイスブック位チェックしてくるよ。

 

僕がこれだけ彼の件にムキになるのは、同じ経営者として今回のような『事件』は、社会に悪影響を残すことが残念でならないからだ。多くの真面目なIT関連会社やベンチャーが築き上げてきた社会に対する誠実さに傷を付け、多くのアントレブレナーがこれから立ち向かうであろう困難を、より難しいものとする行為に他ならない。今の社会はマイノリティを許さない。一部のクレーマーが騒ぎを起こせば、店はマジョリティに新たなストレスを与えることになっても対策を施す。一部の非常識なアルバイトがツイッターで悪行をさらけだせば、それ以外の全員が仕事に関するツイートを禁止されることもある。『彼はバカだなあ。他にそんなことするヤツいないのに』では済まされないのだ。一部の不真面目な経営者が起こした破産騒動は、決して『ザマア』で済むような、ましてや彼が謝罪して終わるような問題では決してないのだ。

 

 

 

外界は夢か

今日もなんだかんだで11時。早く帰って眠らないと疲れも取れないし、何よりその前に山積みの仕事を終わらせないと帰れない。そんなこと百も承知なのに、なんで俺ははてなブログなんて始めてるんだろう。半沢直樹あまちゃんも、最近ではオリンピックや件のゴーストライターの騒動も、ネットでちらほら見てはいるものの、俺はその時そこには居なかった。まるで自分が海外に居て、友人からのエアーメールに綴られた『最近の日本の近況』を読むかのような感覚。寂しいわけじゃないし、孤独なわけでもない。自分の人生を否定したいわけでもないし、何かが絶望的に欠落しているとも思わない。仕事は順調で贅沢は出来ないにしても金銭的な不自由さも無い。無いのは、自分の半径数mから外の世界では、自分が存在していないことになっているかのような恐怖感だ。仕事で一日を一つの場所で過ごすこともないし、人との関わりも深い。でも、どこへ行ってもその半径数mのバリアはいつも自分と一緒にあり、自分と外の世界を明確に区別する。そんな感覚。ああ、何となくこうして書いてみると分かる。自分は書くことで外の世界と繋がりたいんだと。単なる承認欲求かもしれないが、気ままに書いていこう。