対策大好き

福岡の小学校の校長が麻薬所持の疑いで逮捕された件で、例によって行政側の謝罪会見と『再発防止に取り組みたい』という言葉が流れてきた。この二つは『簡単謝罪セット』としてどこかで売られてるんじゃないかと言うほど見飽きたので、どこまで本気なのか分からないが、もし本気だとしたら反対だ。今回の件は、校長が麻薬を所持するという前代未聞の事件で、レアもレア、今後もまずありえないだろうと思われるほどの内容だ。ここまで極端なケースで対策を取っていたら、教育行政は本来すべきことにリソースを注げなくなる。しかも、麻薬対策は刑法に抑止力があるという前提で言えば対策が取られている。それでもなお犯罪に手を染める何十年に一度の人物の為に、無駄にリソースを注ぐべきではない。

とにかく今の日本は問題が起きると対策を講じすぎる。自分の仕事で言えば、問題が起きた場合はまず対策を取るべきかどうか、対策を取る場合はどのようなレベルで行うべきかを判断している。そうでないと対策を実行する時間に取られ過ぎて、ルーティンがスムーズに回らなくなり、結果的に新たな問題を発生させてしまうからだ。だから、問題の内容の深刻度や頻度を考慮した結果、対策を講じない決断をすることもある。でも、僕は経営者だから許されるが、今の会社組織ではそんなことは許されないような気がする。

以前テレビで青山繁治氏と堀江貴文氏がスパイ防止法案の件で喧々諤々の討論をしていた。その中で堀江氏が「このような法律を作ってもスノーデンのような者は止められないのだから無意味だ」と説き、青山氏から猛烈に反論をされていた。僕は堀江氏は好きではないが、これはまさにその通りだと思った。彼が言わんとしているのは、対策とその対象者がアンバランスだと言うことだ。仮に法案が出来てもスノーデンのような『本気の』者は止められない。彼らは法案の有無にかかわらず任務を遂行するからだ。だとしたら対策として機能していないのだから意味が無いということだ。青山氏や「それでは他の刑法にも意味はないのか!」と怒っていたが、それは対策と対象者のバランスが取れているのだから問題無いということが分かっていないようだった。

今後も何か問題があるたびに、『再発防止に努めます』という言葉はで出てくるだろう。また、メディアはその言葉の出ない会見は「無責任」と言って切り捨てるかもしれない。その度に僕はニュースを見ながらため息をついてこう言うだろう。『誰か対策厨を止める対策を知らないか?』